曖昧な表現と繰り返す躍動感
本来の役割を果たそうと躍起になる。
さて。
夏休みである。
夏休み、という言葉自体が
関係の無い物になってから久しい。
全くもってただ暑いだけである。
洋服はレイヤードできず、つまらない。
ただ不快な季節へと成り下がってしまったのは
いつからだろうか。
おそらく夏休みが関係無くなったタイミングからだろう、私の中で夏がその魅力のほとんどを失ったのは。
唯一あるとするならば、
寒くない、ということだけである。
ひいては冬にも同様のことが言える。
まだ冬は食べ物が美味しい。
夏はどうだ、なにがある。
なにもないだろう。
死ぬまでにあと何回夏があるのか
知る由もないが、
1度だけでもいい、
楽しかった頃の夏を思い出すことができないものか。
たこ焼きを食えよ。
都合の良い解釈を繰り返すことは
己の首を絞めている。
さて。
5月中旬から始めた減量生活に慣れ始め、
炭水化物を極力減らした生活を心がけている。
そもそもの摂取カロリーを減らすことで運動することなく、痩せていこうというものである。
結果から言えば、痩せ薬なるものを導入、
補助的な使い方をしてスタートさせたことが功を奏し、
すでに1ヶ月と3週で9キロの減量に成功したのである。
(元々体重超過が酷かったのでまだ適正体重には程遠いが。。)
その方法についてだが、
おそらく界隈の方からは正しいやり方ではない、
その方法では結局意味がないなどとの厳しいご意見があるのは承知の上、
余計なお世話である。ご自身でどうぞ。
人が太ってようが痩せてようが関係あるまい。
相談してもないのに首を突っ込んでくるような、クソみたいな奴らが溢れているSNSなどに、
心を惑わされることなく滑稽だと鼻で笑っているくらいでちょうどいい。
本当にまぁ余計なことをぐだぐだ言っているのをよく見かける。
見なけりゃいい、書かなけりゃいいのだが書くのも自由だ。
だから書き込まれるのも自由なわけで、そうなったらブロックすればいい。
その程度のものでしかないのである。くだらない。掃き溜めである。
一定のクソSNS批判も気が済んだので、方法を明かすことにする。
食うな。
それだけである。
食べなければ痩せる。
簡単な話である。カロリーを毎食アプリに記録し、
摂取カロリーを減らし続ければ痩せる。
そのために何も食べないのは流石に辛いので、いくつか食べてきたものを紹介する。
冷奴キムチ
読んで字の如くである。調理などできないので、
豆腐を買ってきて醤油とキムチをかけるだけ。
これを食べて序盤を乗り切った。非常に美味しいが、
毎日毎食やりすぎ塩分過多(どうだっていいが)や、
そもそもの味自体に飽きるほど食べてしまって食べなくなって久しいが、
いまだに味を思い出してしまうほど(トラウマ)だ。
冷奴キムチは非常に厳しい序盤を支えた食事である。
体重の変動がない日々(体重しか測れる数値がない)の中、
継続できたのは単純な美味しさであると言い切れるほどのクオリティ、
その手軽さにあると言える。また、コストパフォーマンスも優れている。
豆腐を見たくないほど飽きた私が次に始めたのは、
現在も継続しているサラダである。
生ハムとチーズのサラダ〜和風ドレッシング〜
一見するとおしゃれな食事だが、これも非常に怠惰なものだ。
千切りキャベツ(袋入り、切るのも嫌)の上からスライスチーズを手で千切る。
その上から和風ドレッシングをかけて生ハムを乗せる。
これで完成である。
これが美味しい。元来サラダ嫌いな私が、未だ毎日これを食べたいと思う。
コストこそかかっているものの、継続して食べられること、手軽にどこでも手に入ることから、非常に再現性の高い食事であると言える。
これで十分痩せる。
あとは卵焼きをたべたり、たこ焼きを食べている(冷凍)
たこ焼きなんてものは食べてはいけない気もするし、
食べなければもっと痩せるのかもしれないが、
これ以上やると本当に何のために食事をしているのかわからなくなるので、
人間としてのギリギリのラインをたこ焼きで保っていると言える。
結果、ダイエットはなんなのかというと、
たこ焼きである、と言い換えることができるのではないだろうか。
たこ焼きこそ全てなのではないか。
たこ焼き、たこ焼き、たこ焼き、たこ焼き。。
バタフライエフェクトのせいにしてまた後ろを振り返る
取り留めのないことを書き留める。
さて。
新しくはじめたことがあるのだが、
(ここでは多く語るまい)
うまくいかないことばかりである。
楽観視していたわけではないが、
苦戦しながらも前進する想定で
スタートを切ったわけである。
前進も停滞も勿論、何かすること自体ですら
意味などないのだが
(では何故と言われると前回参照)
想定を下回ると、
見立てを誤ったことになるわけで、
まだ己を過大評価しているのかと、
戒めたくなるわけである。
この甘い見立てや楽観によって
怠惰で無気力な人生観を産み出し、
乖離する現実から目を背けてきた。
ここまで来ると直視することすら
出来なくなってしまい、
もう待ちわびるのはエンドロールのみである。
期待値を含んだ物言いに傲慢な姿勢。
結局私は積み重ねによって創られた自己肯定に
甘え続けるのである。
そんな人間になにがあるというのか。
なにもない。なにもあってはならない。
あらゆる事象との因果関係の根幹には
このようなことが結びついている。
全ては己。
嗚呼ここにあったのか
思えば遠くへ来たもんだ。
何をしていたなどということはなく、
ただこれまで同様時間を無駄に消費してきた。
これと言って意味の無いことを繰り返しては
消費し無駄にすることをただ積み重ね、
多くの無意味な時間と物を消費した。
それでいい、それでしかないのだ。
なんだというのか。
こんな終わるまでの時間潰しに
意味など求めることの方が滑稽だろう。
無理やり取ってつけた理由や大義名分に
突き動かされた先にあるのは、
消費してきただけの私と
そう大差ないのではないか。
違う、そうではないと、意味があると、
言えば言うほどに、
本当に無意味だということを、
思い知らされるからではないだろうか。
意味などない。
理由などない。
明日なんてものは希望などではない。
なんの保証もないものだ。
書き始めてやめて続きから書く機能
相変わらずの体たらくでござい。
宝くじが当たれば抜け出せるのかという
どうにもこうにもならないような毎日に、
なにを望むことがあろうか。
贅沢をいえばきりはないが、
なにがどうということもない連続を
繰り返し消耗していくことに
慣れつつも抗えば幾分かましなのかといえば
決してそうとも言いきれないような、
まあ、なんだ。その、
先の見えない消耗戦にはうんざりで、
竹槍で特攻して華々しく散りたいといいつつも、
そのような度胸もないので、
グダグダと時間を浪費してここまできた。
きてしまった。よくこれたもんだ。
我ながら驚きである。
それでもなるようになってきたのは、
ひとえに人に恵まれているから他ならない。
感謝である。ありがたい。
日々おかげさまでバタバタとしており
ふと久しぶりにふでを取ろうとすると、
この記事を書きかけて止めていた。
ビートルズよろしく、
なるようになるさと過ごす私の人生の
イエローサブマリンはどうやらまだ行き先を教えてくれないようだ。
後悔、公開して、こう書いておく。
お題「高校生に戻ったらしたいこと」
ひさしぶりにテーマに沿って書くとする。
高校生に戻ったらしたいこと。。
挙げればキリがないとは思うが、
やはり一番は音楽であろう。
ベースを頑張って練習したいなと思う。
また、サッカーも精一杯やってみたい。
結局やらないだろうが。
どれもこれも自分の中で後悔があるものばかり。
こうしていればよかった、の連続でしかない。
今この瞬間ですらも、後悔の対象になるのかと思うと、
なにもできなくなってしまう。選べなくなってしまう。
そしてなにもしなかったことを後悔する。
選ばなかったことを後悔する。
後悔しないことなんてないのだから、
なにをどうしようと、後悔はするのだ。
なるべく少なくなるように、選択しているつもりなだけで、
後々はきっと後悔するものである。
なんだってそうだ。
後から悔やまないやつなんて目を背けているだけだ。
まぁ今この瞬間から目を逸らしている私に言われたくないだろうが。